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お笑い

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お笑いとコミュニケーション術の結びつきに驚いた。 絡みにくい人って、どんな人?
ボケると、よく「狙っている」といわれる。 漫才が生まれたのは、いつ?
発想力向上のための駄洒落は、質か?量か?


    



●質問というか感想なんですが、貴サイトの「お笑いとコミュニケーション術」という結びつきに感動を覚えました。私はよくお笑い番組を観ますが、そんなことは1度も考えたことはありませんでした。お笑いって深いんですね。(笑) 

 そのような意見はよくいただきます。でもお笑いに限らず、何事にも別な知識はあった方が良いのは確かですよ。例えば、日本料理の職人であっても、フランス料理やイタリア料理の知識もあれば、その技法を活かせるし、新しい味を加えることも可能になります。ましてお笑いというのは、人を笑わせる仕事です。人を笑わせるには相手の警戒心を解く必要がありますから、コミュニケーション術や、会話術を知っていた方が有利なことに違いはありません。
 また会話術を知っていると、「なぜ受けたのか?」「なぜ受けなかったのか?」なども客観的に判断、理解できるため、ネタの改良も容易になります。

 以上のことからも、会話術を知っていた方が「より良い」のは確かですが、それ中心になっても逆に良くありません。会話上手な人というのは、大抵の場合、習うより慣れろの精神で経験から上手い会話の仕方を学んでいるはずです。ですから、まずは経験が一番大事です。そして、ある程度余裕がでてきてから、興味があれば会話術を学ぶのもいいと思います。

 

●自分が会話の中で「ボケる」と、よく友達に「おまえなんか狙ってるっぽくねえ?」と言われます。特に女の子と話している時は狙ってボケているように見えるようです。自然に面白い事が言えるボーイになりたいっす!

「狙っている」と思われる原因は、状況にもよりますが、主に次の2つのどちらかでしょう。
 第一の原因は、「話しをするときの印象」
 例えば「同性と話すときと、異性と話すときでは話し方が違う」場合などがあります。異性と話すときだけやけにノリが良かったり、楽しそうに話したりすると、周りからはあまり良いイメージは持たれず、いわゆる「狙っている」と思われがちです。同性にも異性にも同じように話すのが理想ですね。
 しかし、仮にきちんと話していたとしても、異性と楽しそうに話しているだけで、周りは単なる「ひがみ」でそういうことをいう場合もあるので、その場合はあまり気にする必要はありません。
 他にも、自分が周りから思われてるイメージと違う行動を取った場合も「狙っている」と思われることがありますね。

 第二の原因は、「ボケのタイミングの問題」
 話の中で、何か面白いボケが頭に浮かんだとしましょう。しかし、思いついたボケが話題と関連性が少ない場合は、注意する必要があります。面白いボケが浮かぶと、「早くボケたい!」という衝動にかられますが、そこでアセってボケると、露骨に違和感を与えます。(話の途中で関連性のないボケが割り込んでくると、流れが不自然になるため) 結局、ボケても「なんだ、それがいいたかっただけか!」「狙ってたのか!」と思われ、受けません。
 ボケは、相手にボケようとしていたことを悟られては、面白味がなくなります。ですから、話している話題とあまり関連性のないボケが浮かんだときは、自分で少し前フリを加えるのです。そうやって、少しずつそのボケに関連する話題に移行させ、その後でタイミングを見計らってサラッというようにしましょう。(^_^)

 

●発想力向上のために駄洒落が効果的とありましたが、上手い駄洒落を考えるのと、かなりキビシイものでもたくさん考えるのと、どちらが良いのでしょうか?

 結論からいうと、「たくさん考えるのを優先させた方が良い」でしょう。まずは質より量ですね。
 とくに最初のうちは、上手い、下手などは意識せず、とにかく「頭の中で連想できるものはすべて連想するクセをつける」ことが大事です。最初から「上手いのをつくろう」と考えても中々できませんし、それが苦に感じてきて逆効果になる場合もありますからね。ですから、寒い駄洒落でも何でもいいので、とにかく数多く考えることが大事です。
 数多く発想できれば、その中から上手いのだけを厳選することもできます。実は、発想力がある芸人というのも、基本的にはこの方法で発想しています。ある単語がでたときに、とにかく頭の中で出来る限り多く発想し、その後に「上手い」と思われるものだけ、発言しているわけです。上手い駄洒落をいうには、まず寒い駄洒落からなんです。(笑)

 それと、発想力を上げるには「自由な発想をする」ことが大事ですから、最初から「上手い、下手だ」などと物事を限定した状態で発想しても、効率良くありません。これはすべての状況でいえます。例えば会社で「新しい製品のアイディアを出したい!」と思ったときに、最初から「予算内に収まる範囲で」なんて限定して発想しても、良いアイディアは生まれません。この場合は、どんなものでもいいからとにかく発想して、予算内に収まるかどうかなんてことは、後から考えればいいことなのです。

 ちょっと話がズレてしまいましたが、要は「数多く思考して、脳内にスムーズな発想をするための回路をつくる」ことが大事です。それと、できれば「寒い駄洒落=良くないもの」と安易に否定するのではなく、そういったものでも素直に楽しむ気持ちを持ってほしいです。「寒いなぁ〜」と突っ込むのは良いですが。(笑) 楽しんで作れれば、より発想力も伸びますからね!(^_^)

 

●僕は、授業中にもボケまくるタイプの人間なんですが、フリートーク、会話で笑いを取るのが下手です。また、よく「絡みにくい」って言われます。絡みにくい人って、どういう人なんですか?逆に、絡みやすい条件はあるんでしょうか?

 多くの場合、「絡みにくい人」というのは、ネタ、話し方、テンションなど、何かしらの部分が他人とちょっと違うことが多いですね。具体例を挙げると、天然ボケの人や、クラスのお調子者などです。

 天然ボケの人は、こちらが何か質問しても、その質問とはあまり関係ない返答をしたりします。また、いきなり無意味なことをいうこともあるので、普通の人から見ると「変わってるね」「絡みにくいね」となるわけです。
 お調子者の場合は、妙にテンションが高かったり、急にテンションが高くなったりする傾向があります。また笑いをとる際も、独りよがりなネタやギャグが多く、やはり普通の人からすると「ちょっとついていけない…」「絡みにくい」と思うのです。あと、周りの空気が読めない人なども、絡みにくい対象となりますね。
 つまり、普通の人と比べて、ネタでも何でも度を過ぎた行為をすると、そういった印象を与えることになります。

 もっと分かりやすくいうと、例えば芸人で『江頭2:50』がいますよね。ギャグや激しいパフォーマンスで、見ていて面白いことは面白いですが、仮に学校の同じクラスに彼がいたとしたらどうでしょう?笑えるのは笑えるかもしれませんが、普通の人は間違いなく「絡みにくい」と思うはずです。
 お笑い界では「人と違ったことをして個性をだす」のは大事ですが、同時に「個性と同調をきちんと使いわけ」できていないと、単なるインパクトだけで終わってしまうのです。「面白くて絡みやすい人」というのは、場の空気をきちんと読め、周りに同調しつつも、ポイントを絞って個性を発揮できる人です。

 

●お笑いについて調べているのですが、お笑い(漫才など)が一番はじめに生まれたのっていつですか?教えて下さい。

※漫才が生まれたのは、私が誕生するずっと前の事なので、手元の資料から簡単に説明しますね。(^_^)

 漫才の前には落語がありました。落語はもともと仏教の説法などから派生したと言われてます。人に説教するには、人を惹きつけるような話ができないといけないからです。そこで僅かながらもユーモアのある話をするような人が現れてきました。(師匠、弟子、高座なども元々仏教で使われていた言葉です) その歴史は古く、豊臣、徳川の時代には、すでに落ちを使った話がされていたようです。

 そして江戸時代、明治時代と落語家が活躍します。そんな中、後に吉本興業の社長となる『林成之助』が、明治32年に生まれます。大正時代に入ると、「新しいタイプの笑いが必要」とのことから、萬歳(まんざい。昔はこう書いていた)が生まれました。その当時の萬歳は、今のようなスタイルではなく、「歌舞音曲」という歌や踊りや芝居など、演劇的要素の強いものだったのです。当時、『砂川捨丸・中村春代(1923〜1970)』などが活躍しました。

 昭和2年8月には、吉本興業は松竹芸能と提携して「諸芸名人会」という、萬歳大会を開催します。これが大成功をおさめることになります。この頃から、歌舞音曲に頼らない「しゃべくりだけの芸」をする人が現れます。その代表が、『横山エンタツ・花菱アチャコ(1930〜1934)』です。彼らは、それまでの和服ではなく洋服姿で活躍し、互いに「キミ」「ボク」と呼び合うという、目新しさがありました。
 そして、「萬歳」は「漫才」に代わり、市民権を不動のものにしていきます…。


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